ポイントアップデー

  • Official Acount

    • Twitter
    • Facebookページ
    パリから最新情報をお届け!

  •  

    イギリスが紅茶の国と呼ばれるのは


     17世紀、オランダ商人が中国から茶を輸入するようになり、フランス、
     ドイツ、イギリスに広まりました。しかしこのときは緑茶が主でした。
     その後、烏龍茶など発酵したものが好まれるようになり、さらに発酵の
     進んだ工夫紅茶へと移っていくようになりました。
     1657年、あらゆるものに効く薬としてコーヒーハウス( ギャラウェ
     イ )で紅茶がイギリスで初めて販売されました。その後、ポルトガルか
     ら嫁いだお茶好きのキャサリン妃が当時貴重であった砂糖や茶を持参し、
     喫茶の風習が貴族婦人の間で流行しました。
     とりわけ、1702年に王位についたアン女王のお茶好きは有名でした。
    優雅に銀の茶器セットと中国茶碗を使用し、砂糖を入れて中国茶を飲むという、東洋に対する憧れ「シノワズリ」が上
    流階級のシンボルとなっていました。さらに男の社交場「コーヒーハウス」から、ダンスや音楽を楽しむことができる
    「ティーガーデン」が多くなり、喫茶文化が普及していきました。また、この時紅茶の関税率が引き下げられた上、先
    駆けて産業革命が起こったことから、庶民の所得も増加し上流階級を真似る(スノッビズム)が進行していったことが
    紅茶の普及を手伝いました。
    19世紀初頭にはジョサイア・スポードにより骨灰磁器(ボーンチャイナ)が開発され、茶道具一式を国産でそろえる
    ことが可能となりました。
    19世紀中ごろには当時国民的飲料であった「エール」に代わるものとしてヴィクトリア女王はじめイギリス国教会な
    どが中心となって紅茶を勧めたことも普及の一助に。1840年にはベッドフォード公爵夫人が始めたアフタヌーンテ
    ィーが社交界で広まり、イギリスの生活文化として定着しました。
    1842年、アヘン戦争終結後に拡大する茶の需要に対し、植民地であったスリランカ、インド、アフリカなどで紅茶
    の生産に着手しました。現在の紅茶主要生産国は旧イギリス植民地であった場合が多く、イギリスは生産国としてでは
    なく、消費国として、紅茶の国といわれるに至っています。

    ページトップへ